メンタル格闘家うつラーの日記

メンタル格闘中の日々のなんやらかんやら!

うつ友

会社の同じ部署で同時期に、うつ病になり休職が数か月続いている仲間が

数人いる。

(なんちゅうブラックな職場や!よく労基署が黙ってるわ!)

その『うつ友』と、LINEやメールで近況を報告しあっている。

お互い、雨降り前の曇りの日が調子悪かったり、朝の散歩を勧めてくれたり、

一緒にランチに行ったりしている。

うつ病歴が俺より長い『うつパイセン』は、ネットの情報をよく回してくれる。

朝の散歩や、自転車での有酸素運動は、セロトニンの活性に有効らしい。

確かに眠剤を服用して、朝起きた時の眠気は、散歩で解消されて、午前中の

うとうとが無くなった。

午前中動けると、その日一日が調子いい!

セロトニンかアドレナリンかメラトニンアントシアニンか、よく分からないが

まんざらでもなさそうだ。

仕事に復帰するまでには、リハビリを兼ねて一日動ける身体にしておかなければ

いけないと思っているが、なかなか日々、時々で調子が波のように変化する。

自分の身体と調子によく耳を傾けながら、仕事復帰に向けてファイトである。

親父の死

親父が死んだ。

もうこの世に両親はいない。

親父は統合失調症で数十年間、病院で隔離されていた。

昔の国の政策の為に、半生を病院で過ごした。

一緒に暮らした記憶もない親父。

しかし、この人がいなければ、今ここに自分も存在しない。

生前は恨んでいたが、今は感謝している。

差別や偏見、貧困に苦しんで生きてきた自分だが、シャバという

自由な場所では澄んだ空気を吸って生きてこられた。

親父にとって生きるとは何だったのか?

俺が死んだら、あの世でそれを聞いてみたい。

親父の死

親父が死んだ。

もうこの世に両親はいない。

親父は統合失調症で数十年間、病院で隔離されていた。

昔の国の政策の為に、半生を病院で過ごした。

一緒に暮らした記憶もない親父。

しかし、この人がいなければ、今ここに自分も存在しない。

生前は恨んでいたが、今は感謝している。

差別や偏見、貧困に苦しんで生きてきた自分だが、シャバという

自由な場所では澄んだ空気を吸って生きてこられた。

親父にとって生きるとは何だったのか?

俺が死んだら、あの世でそれを聞いてみたい。

妻への感謝

激動の平成30年間を、こんな俺と共に生きてくれた妻には、

全く『感謝』以外の言葉が見当たらない。

好き勝手に、自分の過信で転職を繰り返し、その都度給料の変動、ボーナスも無し。

生活設計なんか立てられたもんんじゃなかったと思う!

世間一般でいう、最低、ぐうたら、ゲスの極み、借金まみれ!全部にあてはまる俺を、

見捨てることなく、その都度言葉で諭し、まっとうな人間の歩く道へ導いてくれた。

俺の手を取り、『こっちが正道よ!』と。

 

そんな妻に、なんとか認め許してもらうべく、今の会社でなんとかかんとか十数年もった。

もう自分の好きな事だけをやってる場合じゃない。今までとは全く違う職種で、自分の

意思は捨てて、ただ毎日会社に出勤して、毎月決まった給料と年に2回キッチリ、ボーナスが貰える普通の会社が一番!

これまでの仕事は、長くて3年!短くて3か月しかもたなかった俺が、十数年務めることができた。

お陰で少しは生活の設計も立てられ、子供を大学まで進学させることができた。

当然その間、妻も一緒に働いてくれていた為だが、なんとかまっとうな人間、夫、父親

になれかけていたが、今回のうつ野郎のせいで、また妻を不安のどん底に落としてしまうことになった。

 

それでも俺の妻は顔色一つ変えず、『なんとかなるよ!』

 

これまで幾度、妻の言葉『なんとかなるよ!』に救われてきたことか。

 

妻が俺にかけてくれる言葉、『なんとかなるよ!』に返せる言葉があるとすれば、

『ありがとう!』

この言葉以外見当たらない。

 

 

ジェットコースター時代

予想は見事に的中し、携帯電話最大手ド〇モのショップ運営に

奔走した。

1店舗を開店後、すぐに店が軌道に乘ると2店舗目、3店舗目と次々に

オープンさせた。

売れるは売れる!新機種の発売はいつか?デザインも分からない段階で

予約は殺到!

今では考えられないが、最初はレンタル、保証金として20万円を預かる。

基本料金は39000円、通話料はべらぼうに高い。

それでもお金持ちのお客がついていたので、そこからの紹介で営業成績は

右肩上がりというより、ほぼ垂直に上昇!

お陰で、色々な人達との人脈を築けた。

会社社長、政治家、高級クラブのママ、〇社会的勢力の方々、などなど・・・

 

その頃は、仕事が楽しくて仕方なかった。自分の顔と実力でお金も人脈も

重い通りになる!くらいの勢いだった。

 

しかし、そんな栄華は長くは続かなかった。

世もバブル崩壊とともに、ほぼ全員が携帯電話を所有すると、販売契約は徐々に

下がり始めた。

このままではいけない!と思い、次の商売を始めたが、過去の栄光にすがるあまり、

無用なプライドが邪魔をして、アッという間に多額の負債を抱えることに

なってしまった。

 

まさに、上り詰めた景色を一瞬見た次の瞬間、急激なスピードで急降下!!

それもグルグル回ったり、右や左にくねったり・・・吐きそうなくらいの

ジェットコースター時代だった。

平成さん、さようなら!令和さん、こんにちわ!

自分にとっての平成30年間は、激動の時代であり、

間違いなく人生で最もUP&DOWNを繰り返した時代だった。

 

ガキの頃、家は貧乏(いわゆる母子家庭)で、大学にも行けず、

そのくせ変なプライドだけ高くて、22歳までには、東大出た奴の

初任給の倍の給料を稼いでやる!

と決めていたので、実力主義の営業の道に進んだ。

性格は内向的で、あまり人と話す事が得意じゃないくせに、

仕事となると、なぜか誰とでも話ができた。

一般家庭に飛び込みのセールス!(今じゃあまり見かけないが・・・)

 

そこでなんとか頑張り売り上げ成績は、全国4位にまで登り詰めた。

時代はバブル前夜!

目標にしていた、東大卒初任給の倍の給料を、高卒の俺が軽く倍どころか

10倍近く稼ぐようになっていた。

金銭面的には、この頃は天国!

しかし、今でいう真っ黒黒助の超絶ブラック企業

契約取れなければ、夜中だろうが、早朝だろうが客先に押しかけ!

ほとんど犯罪ギリギリ!他の営業マンは、完璧アウトの営業で契約を

取る奴もいた。

 

ここに長居してては人間としてダメになると思い、転職決意!

面接だけには自信があったので、どの会社も面接で100%合格!

でも実際働いてみると、何か違う!・・・はい、辞めた。

次も合格!人間関係最悪。・・・はい、辞めた!

を何度となく繰り返し、それまでに結婚もして子供も生まれたが、

一向に、『自分にはもっと他に力を発揮できる仕事がある!』

とうい何の根拠もない自信で、転職を繰り返した。

 

そうこうしている時、大きな転機が訪れた!

今は国民全員?が持っている携帯電話(スマホ)が、これから世に出ようとする事を

キャッチ!『これだ!今からの時代、一人が一台携帯電話を持つようになる』

という直感がみごと的中!

自分史上第二期バブルの到来だった!

待望の新車

待ちに待った新車が納車された。

うつを患ってから、大好きだった車にすら興味がなくなり、

特に乗りたい車もなかったが、嫁さんがどうしてもというので

新車を購入。

予約してから長い長い9か月の納車待ちだった。

納車待ちに9か月?車好きの方なら車種も分かると思う。

久々に心が躍った!!

やっぱり車が好きだ!

嫁さんに感謝!!

好きだった物や、興味がなくなっていた物に、徐々に興味が湧いてきた。

体調もかなりよくなっている。

もう大丈夫だ!先は見えてきた!

 

ということで、どさくさに紛れて、もう一台車を買う事にした。

全くタイプの違う車。並べるとさぞかし絵になるだろうなあ~。